おはようございます!セッジです❗
今回はAxoさんの作品が、ヨーロッパでのデザイン学校で「線画は絵画じゃない」と言われたという経験が衝撃的だった、というお話が中心になっています。
今回はAxoさんの作品が、ヨーロッパでのデザイン学校で「線画は絵画じゃない」と言われたという経験が衝撃的だった、というお話が中心になっています。
こんにちは!トラノです❗
先輩、今回もまたいつもの3人の対談ですか?
先輩、今回もまたいつもの3人の対談ですか?
そうなんだ。
というかこれね、次にまた記事化するかはわからないけど…
今後も続くと思うよ。
というかこれね、次にまた記事化するかはわからないけど…
今後も続くと思うよ。
一般的にブログというものは「解決」を求められる事が多い。
悩みを持った読者がブログに来訪するのは、回答を求めているからだ。
デザインも実は「解決」である。
今回の記事にも「明確な回答」は無い。
なぜならば、おなじ「デザインという解決」であっても、ヨーロッパと日本でそのアプローチの仕方が違うからだ。
この対談の中からぜひあなた自身の手で「回答」を見出して欲しい。
悩みを持った読者がブログに来訪するのは、回答を求めているからだ。
デザインも実は「解決」である。
今回の記事にも「明確な回答」は無い。
なぜならば、おなじ「デザインという解決」であっても、ヨーロッパと日本でそのアプローチの仕方が違うからだ。
この対談の中からぜひあなた自身の手で「回答」を見出して欲しい。
登場人物紹介
お徳さん🦅幸せの黒い鴉 @otoku_j
日本に幸せを運ぶ黒鳥。サッカーとは関係なし。日本を幸福にすべく暗躍するアヤシイ活動家。フォローはご自由に。ただしフォロバするかは「あなた」を見て判断します。また私をフォローする場合も、よく「判断」してから決めてください。フォロバするとは限りません。不服な方はフォローを外すなり、私に異議申し立てするなり、どうぞ
https://note.mu/otoku_yatagarasu
日本に幸せを運ぶ黒鳥。サッカーとは関係なし。日本を幸福にすべく暗躍するアヤシイ活動家。フォローはご自由に。ただしフォロバするかは「あなた」を見て判断します。また私をフォローする場合も、よく「判断」してから決めてください。フォロバするとは限りません。不服な方はフォローを外すなり、私に異議申し立てするなり、どうぞ
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Axo Na@森羅の小人 @AxxoNa
欧州育ち&在住。日本の空気読み苦手です😅共感・好感持てる相手フォロー&フォロバします(チェックに時間かかります)🍀猫写真主🐱猫とかインテリアとか雑記ブログ始めたばかりで研究中。よければ読んで下され。
https://mysinralife.blogspot.com/
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セッジ💡デザイン講師ブロガー @sedge_design
グラフィックデザイナー+講師+ブロガー。そんな生き方をしています。
アドビ系ソフトの使い方とデザインのブログを運営中➡sedge-design.com
画塾に頼らず自らが子どもに美術特訓して美術高校合格🎨
初心者向けイラストレーターとフォトショップ学習動画を販売中です➡zero_economy
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日本の美意識は独特?
お徳さん:日本人が築き上げた美意識は伝統的であり後天的に刷り込まれたものかもしれない。そういったものに囲まれて育つから。
しかし人間の本質は幾何学的なのかもしれない。
海外はそれを洗練させた。
日本は独自の価値観を築き上げ
それを磨いた…のかもしれませんね。
セッジ:日本人(注:人種というより文化的な意味)は実は黄金率=1:1.618よりも、
白銀率=1:1.1414を好むと言われてますね。
印刷物がAB版が主流というのも世界的にみると独特なようです。
空間の広さ、というのも影響しているのかも?
お徳さん:面白い。そうなんだ。
この日本人の独自性はなんなんだ?
鎖国によるものなのは理解できる。
長らく世界から孤立し、独自性を育んできた。
しかしそれは人間の本質とは言えない。
日本人の独自性だ。
おそらく海外で生まれ育った日本を知らない日系人にはその感覚は薄いだろう。
線画は絵画(アート)じゃない??
Axo Na:そういえばデザイン学校のデッサンでは、モデルがいて、生徒が模造紙板に貼って、無言で「さ、描け」のスタートでした。とにかく描くんですが、先生が見てるけど何も言わない。
気が合わない感あったので、そのせいかと思ってましたが、ある日「これは絵画じゃない」と。
いきなり何言われたか分からなくて。
自分で色々考えるんですが、何要求されてるのかも不明
すごく気になってあれこれ考えてしばらくして、ミュシャの展示会に行ったら「絵画」と「グラフィック」両方展示されてたので、ああ、これかも!と思いました。
短略的ですが、私のデッサン画は「線」で描いていたので、線を減らして「面」で描くようにしてみました。
すると「絵画に近づいた」と言われ、「オマエキライ」な雰囲気が和らいできたのです。
そもそもデザイン学校の授業で「絵画」かどうかは別問題では、と思いましたが、、、
そういう場所でした。(^^;)
ちなみにその先生、本職は画家で、気に入られてた同級生は絵画系(その後美大で絵画に進みました)でした。
私が好きなのは漫画発祥だから「イラスト」。
セッジ:そこですかw
デザインは他者が関係し、アートは自己表現という話かと思ったら、線か面とは・・・。
その先生は失礼ですが、西洋美術でしか見ていないのかもしれませんね。
西洋と東洋だと絵の概念も大きな違いがあると考えられます。
西洋画は光と影=立体感と面を重視し、東洋画は線=境界線による空間の区別を重視します。
マンガ「左利きのエレン」で、美大受験をする主人公たちの話がありますが、こんな特徴的なセリフがあります。
「絵が好きだったせいでデッサンが上達しない…皮肉な話だな」
「天才になれなかった全ての人へ」
このコピーを見たら、クリエイティブの世界に触れた人は胸の中で何かがうずくのを感じませんか?
そんなあなたにぜひ読んでいただきたい作品、それが「左ききのエレン」です。
東洋美術は線、西洋美術は陰影
お徳さん:物凄くよく分かりますね。
東洋美術は線による境界を意識したものだ。
古代中国や朝鮮もそうだった。
西洋ではギリシャ・ローマからそうだった。中世で死んだが、ルネサンスで復興した。
だから海外では日本画や浮世絵を斬新と捉える。
マンネリ化した遠近陰影美術からの脱却を図るために。
Axo Na:西洋では筆は面を塗るものですが、東洋では筆は文字、つまり線を描く道具。そこも関係してくるのかも知れませんね。
デザイン学校でも「人と違うもの(個性?)を目指せ」と強調された事を思うと、デザインでも自己表現が先立つのが欧州かな、とも思います。
アートでも「流行る」のは抽象的で現実的なもの。
日本ではフッター、アリック・ブラウアー、フンダートヴァッサーが流行りましたが、自国での評価は確立してるものの、「ファンです」という人は少ない。
「キレイ」すぎるのです。
「面」だと線より抽象的になる、そういう発想かも知れません。良く覚えてないですが、とにかく困りきってたので。
てか、その境よりデザインの知識欲しかったw
しかし、デザインとは何かということを考えた時、
「実用的である」という事を忘れてはいけないと思うのですね。
実用的であり独創的であることが、デザインの目指すところでしょう。
アートは実用的である必要は無いですからねー
Axo Na:なるほど。
しかし、それではデッサンの授業はなんのためにデザイン学校にあるのでしょう。
イラストはGDと別の仕事、と考えれば、絵は描けなくても差し支えないと思うのですが。
もちろん、レイアウトとか「図」は描けないと困りますが。
セッジ:私の師匠の言葉を借りると、
「デッサンは全ての美術の原点」なんです。
もちろん上手に描けた方が良いけれど、本質は「モノと関係の理解」だと教わっています。
観察→理解→構築(描写) これを理解させる最も優れたトレーニングだと。
Axo Na:さすが講師なさってるというか、セッジさんの説明は分かりやすいです。
こういう事を訊き、答えをもらえてたら、学校に別の意味を見出せたかも知れません。
ブログでも書かれてましたけど、デザインは「美術」に入るわけですね。
(ヨーロッパの)学校制度的には、デザインは「専門技術職」で、マイスター試験などあるパン屋、水道屋、ガス屋などと同じ。
絵画や造形など「アート」は哲学分類で大学に行き修士、学士などの肩書きがつきます。
デッサンの先生が絵の専門という事で画家だった、それだけのためにこういうエピソードがあったのかも知れません。
師匠の言葉とセッジさんの説明、とても面白いです。
セッジ:私の師匠は、画家です。
それもかなりの抽象画ですね。
感覚に訴えかけるものが多いからか、こちらではデザインは美術に含まれています。
それが多くの人が持つ「特別な人にしかできない」という思い込みになっているようです。
実際には概念に近いものなので、美術には関係ないモノもありますがw
Axo Na:書店ではどうだったか。。。
「アートとデザイン」もしくは「デザイン・建築・インテリア」みたいに書かれてたかも。。。
ある意味「特別な人にしかできない」は当たってると思います。
一般の人は「合理的」だけで選ぶ。
青か黒のインクしか興味がなくて、「綺麗な色」で文字を書きたいと思う事が無くて、即物的。
例えばメモ帳でも、デザインで選ぶではなく、普通の色で一番安いのしか目に入ってない選び方で買う。
それではデザイン出来ないじゃないですか。
あ、これは欧州というか、この国の特性ですね。
イタリアやイギリスは全く違うし。
セッジ:こちらの書店、小さな店ではデザインは美術書籍にまとめられてますね。
大規模な書店だと、美術・デザイン・建築…と別れていますが、隣に並んでいます。
大きなくくりでは「美術」というエリアの中にこれらは入っていますね。
私も昔は「特別な人のもの」と考えていたのですが、デザインは理論が判ってくることで、一定のラインまでは誰もが再現できるものだと判るようになってきました。
先ほどとはまた違った分け方ですが、
「デザインは再現性があり、アートは再現性がない」というのも最近良く耳にするようになった言葉です。
Axo Na:人口と購買力の関係か、小さな書店自体死に絶えかけてて、小さいなら特化型に移行してきてます。
デザインとアートの区分、再現性のお話には納得です。
すると気になるのが、この国のデザインへの興味がどれだけあるか。
これ面白いと思うのですが、即物的で合理的なドイツのデザインってそれその物で売るための付加価値として一般に信用ある名前が出てくる。文具でもポルシェデザインとか。
「物」にこだわらないオーストリアはとりあえず安い物、オーソドックスな物を店頭に並べる。
旧共産圏はデザインへの興味が大きくて、色使いも中間色とか多い。
日本の漫画や韓ドラなど、オーストリアにはほとんど入らないけど、ドイツには少し先に入って、旧共産圏はかなり好き。
イタリアになると、むかしから好まれてすでに定着してたり。
東洋美術は線による境界を意識したものだ。
古代中国や朝鮮もそうだった。
西洋ではギリシャ・ローマからそうだった。中世で死んだが、ルネサンスで復興した。
だから海外では日本画や浮世絵を斬新と捉える。
マンネリ化した遠近陰影美術からの脱却を図るために。
Axo Na:西洋では筆は面を塗るものですが、東洋では筆は文字、つまり線を描く道具。そこも関係してくるのかも知れませんね。
デザイン学校でも「人と違うもの(個性?)を目指せ」と強調された事を思うと、デザインでも自己表現が先立つのが欧州かな、とも思います。
アートでも「流行る」のは抽象的で現実的なもの。
日本ではフッター、アリック・ブラウアー、フンダートヴァッサーが流行りましたが、自国での評価は確立してるものの、「ファンです」という人は少ない。
「キレイ」すぎるのです。
「面」だと線より抽象的になる、そういう発想かも知れません。良く覚えてないですが、とにかく困りきってたので。
てか、その境よりデザインの知識欲しかったw
CHECK!
ヴォルフガング・フッター:
ウィーン幻想派。空想的なおとぎ話のような画風が特徴
アリック・ブラウアー:
ウィーン幻想派。鮮やかな色彩と夢の世界のような画風が特徴
フンダートヴァッサー:
家と人と自然の共存を哲学とした曲線が特徴的な画家・建築家
セッジ:もちろん、デザインでも独自性を出さないと埋もれてしまうのは確かです。ウィーン幻想派。空想的なおとぎ話のような画風が特徴
アリック・ブラウアー:
ウィーン幻想派。鮮やかな色彩と夢の世界のような画風が特徴
フンダートヴァッサー:
家と人と自然の共存を哲学とした曲線が特徴的な画家・建築家
しかし、デザインとは何かということを考えた時、
「実用的である」という事を忘れてはいけないと思うのですね。
実用的であり独創的であることが、デザインの目指すところでしょう。
アートは実用的である必要は無いですからねー
Axo Na:なるほど。
しかし、それではデッサンの授業はなんのためにデザイン学校にあるのでしょう。
イラストはGDと別の仕事、と考えれば、絵は描けなくても差し支えないと思うのですが。
もちろん、レイアウトとか「図」は描けないと困りますが。
セッジ:私の師匠の言葉を借りると、
「デッサンは全ての美術の原点」なんです。
もちろん上手に描けた方が良いけれど、本質は「モノと関係の理解」だと教わっています。
観察→理解→構築(描写) これを理解させる最も優れたトレーニングだと。
Axo Na:さすが講師なさってるというか、セッジさんの説明は分かりやすいです。
こういう事を訊き、答えをもらえてたら、学校に別の意味を見出せたかも知れません。
ブログでも書かれてましたけど、デザインは「美術」に入るわけですね。
(ヨーロッパの)学校制度的には、デザインは「専門技術職」で、マイスター試験などあるパン屋、水道屋、ガス屋などと同じ。
絵画や造形など「アート」は哲学分類で大学に行き修士、学士などの肩書きがつきます。
デッサンの先生が絵の専門という事で画家だった、それだけのためにこういうエピソードがあったのかも知れません。
師匠の言葉とセッジさんの説明、とても面白いです。
セッジ:私の師匠は、画家です。
それもかなりの抽象画ですね。
感覚に訴えかけるものが多いからか、こちらではデザインは美術に含まれています。
それが多くの人が持つ「特別な人にしかできない」という思い込みになっているようです。
実際には概念に近いものなので、美術には関係ないモノもありますがw
Axo Na:書店ではどうだったか。。。
「アートとデザイン」もしくは「デザイン・建築・インテリア」みたいに書かれてたかも。。。
ある意味「特別な人にしかできない」は当たってると思います。
一般の人は「合理的」だけで選ぶ。
青か黒のインクしか興味がなくて、「綺麗な色」で文字を書きたいと思う事が無くて、即物的。
例えばメモ帳でも、デザインで選ぶではなく、普通の色で一番安いのしか目に入ってない選び方で買う。
それではデザイン出来ないじゃないですか。
あ、これは欧州というか、この国の特性ですね。
イタリアやイギリスは全く違うし。
セッジ:こちらの書店、小さな店ではデザインは美術書籍にまとめられてますね。
大規模な書店だと、美術・デザイン・建築…と別れていますが、隣に並んでいます。
大きなくくりでは「美術」というエリアの中にこれらは入っていますね。
私も昔は「特別な人のもの」と考えていたのですが、デザインは理論が判ってくることで、一定のラインまでは誰もが再現できるものだと判るようになってきました。
先ほどとはまた違った分け方ですが、
「デザインは再現性があり、アートは再現性がない」というのも最近良く耳にするようになった言葉です。
Axo Na:人口と購買力の関係か、小さな書店自体死に絶えかけてて、小さいなら特化型に移行してきてます。
デザインとアートの区分、再現性のお話には納得です。
すると気になるのが、この国のデザインへの興味がどれだけあるか。
これ面白いと思うのですが、即物的で合理的なドイツのデザインってそれその物で売るための付加価値として一般に信用ある名前が出てくる。文具でもポルシェデザインとか。
「物」にこだわらないオーストリアはとりあえず安い物、オーソドックスな物を店頭に並べる。
旧共産圏はデザインへの興味が大きくて、色使いも中間色とか多い。
日本の漫画や韓ドラなど、オーストリアにはほとんど入らないけど、ドイツには少し先に入って、旧共産圏はかなり好き。
イタリアになると、むかしから好まれてすでに定着してたり。
CHECK!
ポルシェデザイン:自動車メーカーポルシェ傘下のデザイングループ。自動車用品だけでなく、衣服・アクセサリー・時計・文具など、さまざまな製品のデザインを行っている。
モノの価値観・百均と1€ショップ
セッジ:今の日本は二極化しているように感じます「このブランドなら必ず買う」という人と
「使えるならなんでも良い」という人ですね。
長い不況が続いたこともあり、後者の方が増えています
私は例えば、鉛筆はやっぱりステッドラーか三菱を選びます。
でも、ボールペンは文字を書くだけなら百均のでも良いかな?と考えたりします
30年も日本を離れていると…百均という概念もご存知なかったりしますか?
不況が続いたからこそのビジネスモデルですが…
Axo Na:私から見ると日本は「多様化」が激しいように見えます。
例えば、名前だけで買う層、職人芸好きな層、細かな便利さにこだわる層、キャラ命の層。。。
こちらは90%くらい「安ければよし」じゃないかしら。
百均というか、1€ショップというのがありますが、安物が並んでるだけで、1€の品は殆ど無く、便利グッズと少しでも綺麗なものは高いです(笑)
美大(ID)で議論になったのは、私は安ければ綺麗でも差し支えないんだから、安物も綺麗にしたいと主張し、教授は、綺麗なものはデザインに気を使ってないもの以上の価値があるから高くて当然、ということろでした。
日本は不況の前にバブルがあっただけに、良いものや美しいものを安く手に入れたいという気持ちが強いのでは。
戦後から始まった観念も混ざってると思いますが。
ちなみに、セリアやダイソーは、今度必ず行ってみたいですw
セッジ:なるほど、1€ショップはその名前のコンセプトに合ってませんねw
ダイソーにしてもセリアにしても、原則100円(税込108円)というルールは守ってます。
ただ、最近は安くしきれないものも出てきていて、200円~500円の商品も並べるようになってきてますね。
Axo Na:品揃えも国民色強いです
日本のそれは、収納から便利グッズからクラフト素材まで、あらゆるものがちょっと「おしゃれ」に出てるように見受けますが、こちらのそれはタッパー桶ザル、釘や錠前など工具。
他の店のセール程度の「安さ」の家電。
「安物」がアジア製で運搬費だけでも高いせいかもですが。
セッジ:ああー…
安価なホームセンターのイメージですね。
こちらの百均は最初はそういう印象もあったけど、いまは実用品以外のモノもかなり揃えてるんじゃ?という感じになってます。
安価なモノに、それ以上の価値を求める習慣はこういうところから来ているのかもしれませんねー…
まとめ:デザインとアート 海外の視点
お徳さん:今回もとても興味深い話しでした。
今では『アート』の括りにされている浮世絵。
しかし、当時は団扇などにも使われていた『デザイン』だった。
日本でアートとされているのは、海外からの評価に由来していると思われる
しかし当時は
・大家に弟子入り
・師の技術を学ぶ
・自らのオリジナリティを出す
という、まさに『職人』だった。例外はあったが。
『浮世絵はデザインかアートか』
日本でも、海外においても、或いは意見が分かれるかもしれない。
セッジ:あれかもしれませんね。
「洗練されたデザインはアートに至る」
浮世絵は刷られた当時はデザイン…というか今のイラストの役割だったのかも。
現在はその役割を終えて使用しなくなり、観賞用になっていることから、デザインの中の機能性を失った状態と言えるのかもしれません。
お徳さん:確かに浮世絵は現代ではデザインとしての側面が失われてますね。
浮世絵師というのは現代にもいるのかもしれませんが、
少なくとも江戸時代の立ち位置とは異なってしまっている。
『浮世絵を取り入れたデザイン』
はあるでしょうけど、それは単に
『アートを取り入れたデザインに過ぎない』
わけですからね。
Axo Na:後から思い出したんですが「線画はアートか」については、視覚芸術は「絵画」(筆などで面的に描く)と「グラフィック」に分かれます。
グラフィックが更に美術と実用に分かれ、版画やリトグラフが美術、実用は技術図面や広告画像など。
「グラフィックデザイン」といえば、広告画像のデザイン、みたいな意味になりますね。
これはドイツ語特有なのか未確認です。
今では『アート』の括りにされている浮世絵。
しかし、当時は団扇などにも使われていた『デザイン』だった。
日本でアートとされているのは、海外からの評価に由来していると思われる
しかし当時は
・大家に弟子入り
・師の技術を学ぶ
・自らのオリジナリティを出す
という、まさに『職人』だった。例外はあったが。
『浮世絵はデザインかアートか』
日本でも、海外においても、或いは意見が分かれるかもしれない。
セッジ:あれかもしれませんね。
「洗練されたデザインはアートに至る」
浮世絵は刷られた当時はデザイン…というか今のイラストの役割だったのかも。
現在はその役割を終えて使用しなくなり、観賞用になっていることから、デザインの中の機能性を失った状態と言えるのかもしれません。
お徳さん:確かに浮世絵は現代ではデザインとしての側面が失われてますね。
浮世絵師というのは現代にもいるのかもしれませんが、
少なくとも江戸時代の立ち位置とは異なってしまっている。
『浮世絵を取り入れたデザイン』
はあるでしょうけど、それは単に
『アートを取り入れたデザインに過ぎない』
わけですからね。
Axo Na:後から思い出したんですが「線画はアートか」については、視覚芸術は「絵画」(筆などで面的に描く)と「グラフィック」に分かれます。
グラフィックが更に美術と実用に分かれ、版画やリトグラフが美術、実用は技術図面や広告画像など。
「グラフィックデザイン」といえば、広告画像のデザイン、みたいな意味になりますね。
これはドイツ語特有なのか未確認です。
CHECK!
リトグラフ:平らな石板に油性の画材で描き薬品処理をして、水と油性インクを引くと、描いた部分はインクが付き、そうでない部分は水が張るという水と油を利用した印刷技術。現代では金属板が使われる事が多い。オフセット印刷の原点とも言われる。
アートな線画はグラフィックであり、グラフィックは「美術とは限らない」という、分類より観念的な物が強いかも知れません。音楽で言えば、クラシックは芸術だけど、ジャズは必ずしもそう扱われず、クラシックの音楽家がジャズの音楽家をどこか見下ろしたりする。
私のこの先生もそういう事だったのかも知れません。
個人主義の欧州ですから、職場でも「自分」でない事は強要されない。(もちろん、最低限職場に合わせる事は必要ですが)
デッサンが美術の基盤であるからには美術=絵画の先生が来る。
デザイン学校でも美大でも思いましたが、評価は先生の作品と生徒そのものへの好みで大きく変わる。
「好みの問題でしょっ」と怒りながらも思い続け、自分を譲らない人もいます。
私としては、習いに来てるからには、先生の言いたいことを理解したかったです。
好きなようにするのは後でも出来るから。
ちなみに写真の先生はグラフィックデザインが本職で、こちらは芸術どうの言いませんでしたが、気性がアーティストでお言葉を理解するのにまた一捻りでした。
私のこの先生もそういう事だったのかも知れません。
個人主義の欧州ですから、職場でも「自分」でない事は強要されない。(もちろん、最低限職場に合わせる事は必要ですが)
デッサンが美術の基盤であるからには美術=絵画の先生が来る。
デザイン学校でも美大でも思いましたが、評価は先生の作品と生徒そのものへの好みで大きく変わる。
「好みの問題でしょっ」と怒りながらも思い続け、自分を譲らない人もいます。
私としては、習いに来てるからには、先生の言いたいことを理解したかったです。
好きなようにするのは後でも出来るから。
ちなみに写真の先生はグラフィックデザインが本職で、こちらは芸術どうの言いませんでしたが、気性がアーティストでお言葉を理解するのにまた一捻りでした。
「線画はデザインなのアートなの?」が今回の話題の中心でしたけど、先輩はどう感じましたか?
以前の漆器の話でも感じたんだけど、あちらの学校は固定観念が強いような気がしました。もちろん時代もあったとは思うんですけどね。
「嫌いなものは嫌い」で良いんじゃないですか?
たとえそれが自分の作品だとしても「その人」に気に入られなかっただけですよね?
たとえそれが自分の作品だとしても「その人」に気に入られなかっただけですよね?
うん、まあトラノちゃんはそう言うと思ったよ😅
それも否定しないけど、単に「線画はアートじゃない」的な反応が気になった。
それも否定しないけど、単に「線画はアートじゃない」的な反応が気になった。
趣向や感性によるものですし、仕方ないでしょ。
それも一理あるけどね…😅
さて、今回もTwitterでの会話をまとめてみたのですが、何か「学び」がありましたら幸いです。
さて、今回もTwitterでの会話をまとめてみたのですが、何か「学び」がありましたら幸いです。
この3人がTwitterで同じタイミングで遭遇するとまたこんな話が始まってるかも?
覗いてみると面白いかもしれませんネ❗
覗いてみると面白いかもしれませんネ❗
それでは、最後までご覧いただき、ありがとうございました!また他の記事でもお会いしましょう❗
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